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私のSRS体験記【ガモンホスピタル】

私のSRS体験記【ガモンホスピタル】

2016年11月28日、私はSRSのためタイに飛びました。期待に胸を膨らませて。そのときの体験をここで紹介します。少しでもこれからSRSする人の参考になればと思います。

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SRS体験記・出発日(2016年11月28日)

2016年11月28日タイ渡航の日、朝の4時に家を出てバスに乗り成田空港へ向かいます。

バスの中で2時間半Twitterをして過ごす。頻尿の為2回トイレへ行く(高速バスなので車内にある)。乗客で使っているのは私だけだった。なんでみんなそんなに我慢できるの。

成田空港着、チェックインを済ませて出発ロビーへ。まだ時間がある。私は落ち着いて最後の仕事であるうんこをする。盛大に。これで思い残すことはない。

▲成田空港

11時45分離陸、それから6時間半の長旅となるが、機内では映画を3本観て快適に過ごす。意外とあっという間にタイへ。

▲座席にモニターが付いている。映画も比較的新しいものがラインナップされてた。インデペンデンスデイ、ファインディングニモ、ファインディングドリーを観る。

▲機内食。「ビーフorタイ?」と聞かれた。タイ?フィッシュじゃなくて?タイを選択。とても美味しかった。これは滞在にも期待できる。

現地時間17時10分タイのスナンナプーム国際空港着。降りた瞬間熱風を感じる。暑い。タイは常夏だ。それとグリーカレーのようなスパイスとココナッツオイルの匂いが漂う。異国だ。

入国審査を終えスーツケースをコンベアから拾いアテンドさんと合流。円をバーツに交換する。為替レートはよく分からない。5万円をバーツに替えた。

お腹が空いたのでタイの屋台でご飯にする。初日から本格タイ料理を堪能。トムヤムクンの本気の辛さにむせび泣く。やられた。パクチーがすごく美味しかった。食事が合う国は素晴らしい。

▲手前の黄色いのが本気のトムヤムクン。タイの料理は辛さと酸っぱさと甘さが際立つ。私はすぐに気に入った。

食後ガモンホスピタルへ。ガモンは入院個室と滞在個室が別となっており、入院前はホテルのような滞在個室に泊まる。広くて綺麗でびびる。VIPルームしか空いてかなったのでそこを手配された。時刻は22時を過ぎている。

▲見てこの豪華さ。みんなガモンに来るといいよ。

初日夜、特に何も考えることなく眠る。疲れた。

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SRS体験記・オペ前日(2016年11月29日)

11月29日、オペ前日

朝起きてみると見慣れない天井と部屋に自分がどこにいるのか分からなくなる。「あ、そうかガモンに来たんだ」と再確認。

▲朝食。「サソドイツチ」?美味しかった。タイのものは日本と感覚が似ている。食べ物もどれも美味しい。

この日は各種健康診断とタイ精神科医のGID診断を受ける。

午前中にいろんな書類にサインし、血を抜かれたりレントゲンを取ったり諸々をやる。医師の診断は午後からで、それまで時間があったので周辺を探索することに。

ここタイの交通事情は一言で言うと「怖い」。まず信号がない。横断歩道もない。皆無ではないが、ほとんどない。なので歩行者が道路を横断する場合、必然的に車がビュンビュン走ってる中を歩いて突っ切ることになる。これが出来なかった。出来るわけがない。怖いもの。私は道路の横断を諦め、横断せずに行ける範囲で周辺を散策、開拓した。コンビニやショッピングモールへは横断なしで行けたので安心する。

▲ガモンホスピタル外観。とても綺麗。

▲ガモン周辺。ほんとはもっとビュンビュン車が走っている。

▲ショッピングモール。日本食レストランやマクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなども入っている。

午後、タイ精神科医の診断。ホルモンはどれくらいの期間やっているのかとか、オペに対し不安に思ってることはないかとか、簡単なことを聞かれただけですぐにOKがでた。「No Problem」とのこと。オペよりも道路の横断の方が心配である旨を言ったが、そこは通訳にカットされ伝えられなかった。「タイは初めてかい?存分に楽しんでくれ!」と笑顔で握手される。イケメンだったので少しキュンキュンした。

しかしオペのあと予想以上の痛みに私は苦しむことになる。私は舐めていた。舐めきっていたよ。これを書きながら今も文字通り「痛感」している。

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SRS体験記・オペ当日(2016年11月30日)

11月30日オペ当日

とうとうこの日が来た。しかしまだ実感がない。部屋に朝食が届けられる。サンドイッチとバナナ、それとヨーグルトが最後の食事となる。以降一切の飲食が禁止される。

▲最後の食事。

10:00 滞在個室をチェックアウト、入院個室に移る。患部の剃毛と浣腸を行う。話に聞いていた通り浣腸の量は多かったが、驚くほどではなかった。むっちゃお腹痛くなったけど。

当初の予定では夕方くらいからのオペだったが、それが早まり私が1番手に。13時オペ開始するとのこと。すごい、あと2時間しかない。

実感はまだわかない。Twitterをしながら過ごす。タイムラインを見て時々笑う。ほんとに私これからオペをするのか、信じられない。

▲服を着替えてオペ待機。

▲点滴に繋がれる。

程なくして看護師が呼びに来た。いよいよだ。車椅子に乗せられオペ階へ移動、オペ室前で看護師が握手を求めて来たので笑顔で返したら、そうではなくストレッチャーに移れとのことだった。笑いながらストレッチャーに乗り換え、オペ室に入る。

オペ室は音楽が流れていた。割とポップな感じの。手術台に横になってるので天井しか見えない。「リラックス」と何度か声を掛けられる。緊張しているのだろう。当たり前だ、ここで緊張しない人間などいない。なぜか先程まで見ていたTwitterのことを思い出す。可笑しくてたまらない。笑いがこみ上げてきそうになり焦る。ここは絶対に笑ってはいけないタイSRS24時か何かか。「深呼吸してー」と言われる。麻酔か、いよいよだな。一瞬で意識が飛ぶと聞いているけど果たしてどれくr…………私は意識を失った。

「オワタヨー!オワター」と肩を叩かれて目を覚ます。股間にすごい痛みと尿意を感じる。尋常じゃない尿意だ。膀胱がはち切れそうな感じがする。私は焦った。「ピー!ピー!アイ ウォント トゥー ピー!漏れる!」と看護師に訴える。これが術後私の第一声となる。私は看護師の腕を握り締めていた。痛い、漏れる、なんだこれ冗談じゃない。実際には尿道にはカテーテルが挿入されているので漏らすことはないのだけど、違和感と痛みが凄かった。「ダイジョブヨー」と看護師が尿バッグを見せてくれた。いや…ダイジョブじゃ…ない……いつの間にか私はまた眠りに落ちていた。

目が覚める。場所はリカバリールームと呼ばれる手術直後の患者がしばらく置かれる部屋だ。麻酔がまだ効いていて意識は朦朧としているが、さっきよりは落ち着いている。右腕の血圧計が定間隔で自動的に締め付けてくる。「What time?」と声を掛けると「エイト!」と返ってきた。20時だ。

しばらくしてベッドごと病室に移動。ただいま、無事に生還したよ。患部の痛みと麻酔の残り、頭の中は割とぐちゃぐちゃだった。「結構早かったですねー」とアテンドさんが言う。そうね、順調だったのかしら。ちんこを取った実感は未だなし。ベッド横のテーブルにはチャーハンと豚肉の料理が置いてあった。え?なにこれ食べるの?という目で看護師を見ると「ポーク!ポークネ!」とのこと。あ、あぁそうだね豚さんだね。分かった。でもさすがにオペ直後は食べられない。これ、後から考えたんだけど、冷静に考えるとオペ直後にチャーハンなんて普通食べられないし、提供もされないのが普通だよね。だとすると、私が見たこの光景は幻覚か何かだったのだろうか…?と不思議に思っている。

私はあらかじめ用意していたウイダーインゼリーとOS1を飲む。美味い、身体に染み渡る。命を取り込んでる感じがした。

その後麻酔の残りを頼りに眠りにつく。今日が私の新しい誕生日だ。おやすみなさい。

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SRS体験記・オペ2日目(2016年12月1日)

12月1日オペ2日目

麻酔の残りを頼りに眠れたものの、起きると患部にすごい痛みを感じる。一言で言うと「キンタマを引っ張られる痛み」だ。キンタマもう無いのに。これが幻痛というやつなのか、頭はまだ無くなったことが理解できないのだろう。明らかに、はっきりと、確かに、それはキンタマの感覚だった。

男性陣ならお分かり頂けると思うが、キンタマを引っ張られると痛い。その痛みの前ではどんな抵抗も無意味だ。我々は成すすべがない。そんな痛み、それが1日中ずっと続く。分かるかい?1日中、ずっとキンタマを引っ張られてるんだぜ?冗談じゃないよ。想像してご覧よ。どう?冗談じゃないって思うだろ?冗談じゃないよまったく。

しかしそれは現実だ。ジョークでもなんでもない。私はありもしないキンタマを引っ張られる痛みに耐えなければならなかった。看護師が定期的に痛み止めを点滴の管から通してくれるが、これがそれほど効かない。モルヒネっぽいのがあると聞いていたが、それは他の病院の話だった。ガモンにはない。なんてことだ。さらに痛みを訴えると点滴の管に何か液体を注入してくれる(ペインフリー?)のだが、これもあまり効かない。錠剤の痛み止めも貰えるのだがそれも気休め程度だった。つまり私の痛みを緩和してくれるナイスアイテムは何もないという訳だ。なんだろうな、ここ病院だよね。病院だったらある程度対処できるものじゃないの?できないの?私が悪いの?

朝ご飯はお粥だった。お昼は肉うどんで夜はにゅうめんだったかな。割と普通のが出る。とにかく食べて回復させないといけないので務めて食べた。まぁ、普通にお腹空いてたし。人は下半身に穴を開けられキンタマを引っ張られていてもお腹は空くのである。

水もたくさん飲んだ。カテーテルを通して尿が排出されすぐにバッグをいっぱいにする。術後はたくさん水分を取った方がいいと聞いたことがある。

私の身体はいくつかの管でベッドに固定されている。点滴と尿カテーテルと排血ドレーンだ。空けた大穴にカテーテルとドレーンが刺さってるものだから大変だ。尿カテは慣れずにずっとおしっこしたい感じだし、ドレーンも痛い。

術後よく聞く熱は出なかった。炎症が起こってるので発熱してもよさそうなのだが、最後まで私は平熱のままだった。そういうケースもあるのだろう。

朝と夜に患部の消毒、それと身体の清拭をやってもらう。タイの看護師はみんな小柄で可愛くて綺麗だが、言葉が通じないせいか裸を見られても全く恥ずかしくない。タイでSRSをする場合、これはちょっとしたメリットだと思う。

患部も痛いが、寝たきりなので背中や腰も痛くなる。床ずれである。せめて体勢を横に向けたいのだがそれすらできない。苦しい戦いである。

なんで私が…とふと心に闇が落ちてしまう。すると蛇口を捻ったように涙が溢れ出た。物凄い量だった。涙ってこんなに出るんだ。いけない、SRSは気持ちが大事だ。気持ちに飲み込まれてはいけない。私は気持ちを切り替えた。新しい人生を思い描くんだ。私は私の人生を生きる。そう考えた。

オペ2日目、とにかく痛かった。

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SRS体験記・オペ3日目(2016年12月2日)

12月2日オペ3日目

朝起きると昨日までの痛みが嘘のように引いていた。驚いた。尿カテーテルとドレーンの不快感もない。すごい。信じれなかった。痛みがないって素晴らしい。まだベッドに固定されたままだが、今なら何だっててきる気がした。ここは6階だが空だって飛べるに違いない。気分はとても爽快だった。

1日の流れを書いておく。

  • 6:00 血圧測定、検温、尿カテ・ドレーンチェック、全身の清拭
  • 6:30 朝食
  • 9:00 血圧測定、検温、尿カテ・ドレーンチェック
  • 9:30 患部の消毒
  • 10:00 部屋の清掃
  • 11:30 昼食
  • 14:00 血圧測定、検温、尿カテ・ドレーンチェック
  • 15:00 おやつ
  • 16:00 血圧測定、検温、尿カテ・ドレーンチェック、全身の清拭
  • 16:30 夕食
  • 16:40 患部の消毒
  • 21:00 血圧測定、検温、尿カテ・ドレーンチェック
  • こんな感じだ。

痛みはなくなったのだが、今度は腹部の圧迫を感じる。一言で言うと「うんこしたい」。めっちゃしたい。由々しき事態だ。絶対安静なのでベッドから動くことはできない。尿はカテーテルから排出されるので大丈夫なのだが、大きい方はどうするのか。それは寝たまま排便するのである。お尻の下に平ぺったい金属製のオマルのようなものを敷き、致すのである。これはなんと言うか、人として最低限度文化的な生活から少しばかりはみ出てはいないか。出来れば避けたい。いや、何がなんでも回避したい。私は人でありたい!そう思った。

しかしお腹の圧迫は待ってくれない。うんこ待ったなし。「大丈夫ですか?」とアテンドさんが声を掛ける。「お腹が…張ってて、苦しくて」と言うと「ガンガンおならしましょう!」とのこと。

おなら!

なんでも麻酔の作用で腸内にガスが溜まることが当たり前なんだそう。みんな積極的にガス抜きして圧迫感を減らしてるそうだ。つまりおならしまくってると。

なんだそうなのか。そうかおならをすればいいのか。しかし、果たして私はガスだけを出すことが出来るのだろうか。アレまで一緒に出やしないか…。

「オペ前に浣腸して空っぽにしてますから、それはないと思いますよ」とアテンドさん。なるほど浣腸はオペ中の筋弛緩による漏れを防ぐためだけでなく、オペ後食べ物を溜めるスペースを空けるためでもあったのか。

さすがにアテンドさんの目の前でするのは気が引けたので、居なくなってから挑戦してみた。出た。見事に、ガスだけが。すーっとお腹が軽くなる。素晴らしい。私は生き返った。生真面目な私は「出していい」と言われない限り「出しちゃダメ」なんだと思い込んでいた。アテンドさんの助言がなければ私はきっと我慢し続けていただろう。考えただけでも恐ろしい。みんな、オペ後はガス抜きを忘れずに。

この日は遊園地に売ってる風船くらいガスを出す。ちなみに匂いはほとんどしない。不思議なものだ。ほんとだよ?

▲オペ後病室のカーテンを初めて開ける。いつものデカい建物が見えた。

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SRS体験記・オペ4日目(2016年12月3日)

12月3日オペ4日目

点滴とドレーンが外される。

タイは国風がそうなのか、それとも私が外国人だからなのか、基本的に処置は事前の説明もなく突然やられる。言葉が通じないから説明しても無駄だと思われてるのかもしれない。

朝の患部の消毒のときいきなりドレーンを外された。私は他のブログで情報を収集していたので今日あたりドレーンが抜かれることを知っていたからよかったものの、知らない人にとっては急だと思う。消毒のため患部のガーゼをいつものように外されるのだが、まずドレーンの先の血を貯めるタンクが管から外される。何の予告もない。いつもと違う動きに「あれ、なんかやってる?」と思っていると「リラーックス、ワーン、ツー」といきなりカウントダウンが始まった。おいおいおい心の準備が出来てないよと思ってるうちにズボッと抜かれた。話には聞いてたけどなかなか痛かったね。でも耐えられないほどじゃないです。というか、オペ後のキンタマのツラさに比べたらどんな痛みも大丈夫だと思えます。

点滴も外された。身体に繋がっている管が減って嬉しい。残るは尿カテーテルとパッキン(膣内に押し込まれているガーゼ)だけだ。

食事についてだが、入院中ガモンでは日本食が出る(朝食だけはガモンが用意してくれる。サンドイッチなどが多い)。近隣のショッピングモールにやよい亭という日本食レストランがあるのだが、そこが毎回デリバリーしてくれる。メニューは病院任せて選ぶことはできない。言えば選べたのかもしれないが、私は任せた。オペ後は麺類が多く、次第にご飯ものになっていく。適当なのかと思いきやある程度固定化されてるよう。他の人のブログなどを見ても出てくる順番がほぼ同じだから。毎回は撮っていないが、参考までに画像を上げておく。

▲肉うどん

▲にゅうめん

▲シュークリームとミロ(タイではマイローというらしい)

▲親子丼

▲とんこつラーメン

▲これもラーメン

▲肉炒め。ちょっと引きで撮ってみた。

▲白身魚のムニエル。

 

食事はどれも美味しい。だけど飽きる。タイに来てまで日本食は食べたくない。退院したらタイ料理をたくさん食べてやるんだ。

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SRS体験記・オペ5日目(2016年12月4日)

12月3日オペ5日目

身体は順調に回復しているのだが体力と気力の消耗が激しい。昨日の元気が10だとすれば今日は2だ。患部は夜になると少し痛むが、日中は落ち着いている。経過はとても順調である。

今日膣に詰められたパッキンを引き抜く処置があると予想していたのだがなかった。少しガッカリする。どうやら明日のよう。

特に変化がない一日。のんびりと過ごす。ベッドの上での生活もだいぶ慣れてきた。YouTubeでなぜかホラーゲームの実況動画にハマる。そういえば暇を潰す目的でスマホにドラマや映画を保存してきたのだが、まだひとつも観てない。時間はたっぷりとあるのだが観る気がわかなかった。

そう言えば昨日手術証明書をもらった。これは特例法で戸籍を男から女に帰る手続きに必要になる。大事に取っておこう。英語版と日本語版のふたつを貰える。嬉しいので何度も読み返していた。

▲手術証明書

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SRS体験記・オペ6日目(2016年12月5日)

12月5日オペ6日目

下の写真のような器具が廊下からガラガラと音を立てて登場する。これ、形状をよく見ると分かると思うのだが、この左右にある凹ってる部分に太ももを置いて、いわゆるM字開脚される道具なのだ。うん、婦人科みたい。

▲物々しい器具

今日は膣の中に詰められているパッキン(ガーゼ状の布)を取る作業をするとのこと。少し予想はしていたが、まさかこんな訳の分からん拷問器具が出てくるとは思っていなかったので驚いた。看護師がセカセカと動き準備をしている。どうもガモンの看護師、普段は結構いい加減でアバウトなのに、ガモン先生が来るとなるとちょっとピリピリするようで真面目()になる。いやぁ普段と動き違うなぁと思いながらその様子を眺めていた。

程なくしてベッドの足の部分の枠が外され、ザ・婦人科の器具がセットされる。看護師に促されるまま両足をそれに乗せて強制M字開脚へ。そこにガモン先生が登場。でっかい注射器のようなものから水であろうと思われる液体を患部に掛けながら、私の穴、もとい膣からガーゼをトイレットペーパーかのようにするするするするーーーと出していく。え、ちょっと待ってどんだけ長いの。まだ出るの?マジ?っとなる。びびる。先生の足下にはゴミ箱があり、するすると抜いたガーゼはそのゴミ箱に華麗にインしていってるようだ。私からは見えなかったがアテンドさんがそう教えてくれた。

全部のガーゼがようやく取り出されたあと、ガモン先生が棒状のモノに手をかけた。そう、これがダイレーターだ。ダイレーターとは膣が塞がらないように退院後も自分で膣に挿入し穴を保持する道具で、小さいモノから大きいモノまで5種類くらいある。その一番小さいやつをガモン先生は私に何を言うこともなく容赦なく穴(膣)にぶち込んできた。これはさすがにちょっとビビった。穴(膣)にモノを突っ込まれるのは初めてだったし、オペしたばかりの部位だ。傷だらけで痛いんじゃないかと思うのが当然じゃないか。めっちゃビビるって。でもね、これが全然感覚がない。おそらくガーゼで十分に穴が広がっていて、挿入した棒がそれよりも小さかったからだと思う。それにしても何の感覚もない。しかしながらその棒が抜かれるまでは、すごい恐怖感に私は包まれていた。とにかく怖かった。棒を抜くとガモン先生は「6インチ」と言った。膣の深さのようだ。6インチって15センチくらいのよう。

その後、歩行とシャワーの許可が出る。

オペ後初めての歩行だ。下調べで得た情報によると、このステージで目眩がして倒れる人が多いという。ここは慎重にやらなければならない。ゆっくりとベッドから床に足を下ろし立ち上がってみる。お、意外と大丈夫だ。そのままシャワーも浴びる。これも大丈夫。シャワー室には倒れないように椅子が置いてあるのだが、それを使うことなく立ったまま浴びることができた。私の体力ってすごいのではと感心などする。

今までずっとベッドの上だったので自由に動けるようになったことがこの上なく嬉しく、私はあちこり歩いて回りたい気持ちでいっぱいになります。自由だ。私は自由だ。

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SRS体験記・オペ7日目(2016年12月6日)

12月6日オペ7日目

カテーテル除去と自力排尿、退院

カテーテルを抜いて自分の力で排尿が出来れば退院となる。朝、カテーテルの管が縛られ水がたくさん置かれる。ほんとにたくさん、びっくりするくらいペットボトルをドンドンと机の上に並べていく看護師さん。マジか。「これをたくさん飲め」とのこと。これはオペ後カテーテルで自動的に排尿されていたため膀胱がおしっこの感覚を忘れており、それを取り戻すための処置らしい。

▲大量の水。飲むたびに追加で出される。

たくさん飲んで膀胱に尿を溜める。カテーテルから尿バッグにおしっこが流れてしまわないように、繋がってる管が輪ゴムで縛られる。よって飲んだ水は尿バッグに行くことなく全部膀胱に溜まる仕組みだ。仕組みだ…って、いやこれちょっとした拷問だっての。やってみると本当にそう感じた。

▲カテーテルの管を縛っている

おしっこしたい!でも我慢!いやもう限界!!いやもうちょっと我慢するか?むぅぅぅむりぃぃぃ!!という臨界点でナースコールする。看護師が来て管の縛りを解いてくれる。すると膀胱に溜まっていた大量の尿が一気に尿バッグに流れ出る。パンパンに膨らんでいた膀胱が一気に萎んでいくのが分かる。看護師はその尿の量を量っているようだった。そしてまた縛られる。これを3回繰り返すのだ。マジか。この拷問を3回もか。

3回目の最後の臨界点ナースコールではトイレに連れて行かれ、便座に座った状態でカテーテルを尿道から抜かれる。抜かれる時変な感覚があって「アハン」となる。でもそんなこと言ってれない。このおしっこ試練はちゃんとクリアしないとまたカテーテルをぶっさされ、場合によってはカテーテルを刺した状態のまま退院となるのだ。それはヤだ。という訳で是が非でもおしっこを出さないといけない。

そのせいもあって緊張するが、果たして結果は!?どうだ!?いけるか!?

ん?出た?

尿道が短くなっているので男性のときと感覚が違うので戸惑ってしまう。「出た!」ではなく、「え?ん?出た…?あれ?」というなんとも頼りない感覚なのだ。とにかくよく分からないのである。おしっこが出たという実感がまるでない。男性の時は力んで尿道から尿を放出!という感じだったのが、おまんまんになると力むのではなく弛緩する、力を緩める感じなのである。そして「おしっこ出そう」と感じた時にはもう既に「出てる」のである。「あれ?」である。

とまぁとんだ拷問まがいのことを受けたが無事にそれをクリアし、私は退院を果たす。

6階の病室から7階のサービスアパートメント(退院後の居住部屋)に移動する。最後に自分の病室をパシャリ。感慨深い。

▲さよなら603号室、ここで過ごした日々は忘れないよ。

7階のサービスアパートメントはとても綺麗なところだった。身体に一切管が付いてない、私は自由だ。開放感がとても心地よかった。

▲今日から帰国までここが私のうちだ!

注意

「ガモンホスピタルの紹介」の記事でも書きましたが、現在のサービスアパートメントは別建物です。個人的には新しいサービスアパートメントより、この時の病院一体型の方が私は好きですね。ちょっとしたところが豪華ですし食器とかもそろってましたし(なんか特別感がある)。新しいサービスアパートメントは少し簡素な気がします(ビジネスホテルみたい)。

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SRS体験記・オペ8日目(2016年12月7日)

12月6日オペ8日目 退院2日目

午前10時に抜糸を行う。7階から2階に降りる。退院後も同じ施設内だけの移動で済むのでとても便利だ。抜糸は痛いかなと思っていたが、ときどきチクっとするだけで特段痛くもなく終える。でも正直怖かった。

▲メイクをして2階へ。オペ後ずっとすっぴんだったからメイクできるのが嬉しかった。

歩行は問題なく行えた。歩くスピードもオペ前と変わらないくらいで歩けた。あまりに元気に歩き回るのでアテンドさんに「もう少しゆっくり歩くように」と注意される。自由に歩けるというのがとにかく嬉しかった。ちょっと調子に乗りすぎた。

病院近くの屋台で昼食。タイの屋台料理、ずっと食べたかったんだ。とても美味しかった。

▲憧れの屋台ご飯。米粉でできた麺を食べた。

夜になって患部が腫れる。そして痛い。調子に乗って動きすぎたのがいけないようだ。痛み止めを飲む。明日からは無茶をしないようにしよう。しかしこの患部の腫れが後にエラいことになるとはこの時想像だにしていなかった。下の壊死記事に続く。

※これ以降毎日、1日2回のダイレーションの繰り返しで書くことが特段なかったので日記を残していません。すみません。次の壊死記事をお読みください。下の壊死記事はオペ後1年以上経ってから書いたものです。それを踏まえてどうぞ。

 

2024年追記記事です

患部の一部が壊死してました😣

退院後一日二回ダイレーションが始まります。これはタイの看護師さんがやってくれます。それはいいのですが、いつものようにダイレーションルームに入り看護師さんにお股を見せると、看護師さんの顔が真顔に。そして真剣なまなざしで私の局部を見ています。そして「ちょっと良くない。この状態が続くならガモン先生に診てもらう」といった事を言います。え、なにそれ。めっちゃ不安なんだけど。ダイレーションが終わって部屋に戻ると、不安なので見ますよね。その局部を。鏡で。そしたらなんだか大陰唇の片方がぷっくり膨れ上がり、さらに皮膚が剥がれて赤い粘膜がむき出しになっているではありませんか。なんじゃこれ!私のおまんまんが!おまんが!!と驚愕します。しかし翌日以降の看護師のチェックでは大丈夫と判断されたのか、ガモン先生の緊急診察に至ることはありませんでした。不安でしたがどうしようもありません。初めてのSRSです。まぁ大抵の人はSRSは一度のみなのでみんな「初めて」でしょうけど。右も左も分からないので病院側が大丈夫と言うなら大丈夫だろうと自分に言い聞かせ落ち着かせるしかありません。

しかし結論から言うと、これは壊死してたんだなと判断しています。オペ後帰国し1年ほど経っても先述した大陰唇のぽっこりが収まりませんでしたから。ぽっこりしたままです。すごく不格好です。はぁ…どうしたものか。しかしもうタイに行くこともないだろうし、このお股も別に他人に見せながら生活する訳ではないので最低限のおまんまんの外見が出来ていればいいか、と自分を慰めるしかありません。んー、天下のガモンでもこういうことがあるのね。このような壊死に関しては同じような経験をしている人が私以外にもいるようです。壊死以上の「え?それほんと大丈夫??」といった壮絶な経験をしている人もいます。みんな満足そうな顔をしていますが、その裏ではたくさんの不安な事、トラブルを抱えています。SRSは前途洋々ではないのです。前途多難です。

もしこれを読んでいる人がいれば、少しでも不安な点があれば遠慮なく、且つ、強く病院側に主張するようにしてください。日本人は遠慮がちなので自分の意見をあまり言いません。しかしSRSの時は頑張ってください。意見しましょう。主張しましょう。そうじゃないと流されます。ただ、SRSの出来は1年ほど経たないとその善し悪しが判断できないのも事実です。大陰唇ぽっこりーー!!と騒いでいますが、それはSRSして1年経っても治っていないからです。オペ直後は「まぁこれも時期に治まるんだろう」と自分に言い聞かせていましたし、病院側も時間が経たないとなんとも言えないところがあるのも事実です。だから難しいですね。でもさっき言ったように、とにかく不安な点はしつこく確認や要求をしましょう。私のSRS、完。嗚呼タイよ、さよなら。

と言いながら、その後私はまたタイに渡ることになります。

そしてお股の修正オペを受けました。その結果すごく満足できるおまんまんを手に入れることが出来ました。非常に満足です。なんでまたタイに行ったのかというと、私のパートナーのSRSに私も同行したのですが、ただ同行するだけなのは勿体ないと考え、豊胸を受けることにしたんですね、で、そのついでに診察時にガモン先生にお股をおっぴろげ、「ここ!ぽっこり!大陰唇ぽっこり!!ナオシテ!!」と言って修正オペも受けた次第です。修正オペは豊胸のついでに受けたものなので掛かった費用はよく分からないのですが、ちょちょいっとやるだけの簡単施術なのでとても安かったように思います。これを見ている人でSRS後1年経過しても満足いくおまんまんになっていない、又はおまんまんの「ここが不出来で気になる」と具体的に治したい箇所がある場合は、また渡タイしてもいいと思います。お金は必要ですがそんなに高額ではないでしょう。

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SRS体験記・帰国後の経過(2017年6月1日)

お久しぶりです。

早いものでSRSしてから半年が経ちました。

帰国後しんどい時期もありましたが今は元気です。

ダイレーションも順調で、病院から支給されたダイレーターでは足りなくてもっと太いのを自分で購入して使ってます。ガモンのダイレーター5番(最大)が直径約30mm、私が今使ってるものは45mmです。ちなみに大人のおもちゃです(笑)ディルドってやつ。

ダイレは今では1日~2日に1回1時間やってるだけです。そのうちもっと少なくなるのでしょうか。手順もだいぶ簡素化して使う道具も少なくなりました。消毒なんかお風呂で薬用石鹸で済ませているのでダイレのときには特にやりませんし。ガーゼや‎綿棒なども使ってません。ダイレーターにゴム被せてローション塗って突っ込んでるだけですね。ローションはタイで大量購入していたものがまだ余ってるのでそれを使ってます。

患部の腫れも落ち着き痛みもないです。飛んだり跳ねたり自由にできます。オペ後2ヶ月位までは200m歩くのにも苦労したというのに。今は生活に全く支障ないですね。

感度も良好です。陰核が特に感じます。オペ前は感度については考えもしてなかったですが、感じることができるというのは、やはり嬉しいものですね。ガモンせんせーありがとう。

以上、私がガモンでSRSしたときの体験記でした。少しでも参考になれれば幸いです。

 

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